「ここに居ます」

「ここに居ます」

 

子供猫のトラ吉

私は ここに 居ます

 

 

今 ここで 生きて います

 

 

川を流れる 木の葉のように

 

 

長い時の中を 流れ 流れ・・・

 

 

今 ここを 漂っています。

 

 

苦しみも 悲しみも・・・

 

 

喜びも 幸せも・・・

 

 

そのすべてを 内に秘め

 

 

今 私は ここを 流れています

 

 

すべてを 慈しみながら

 

 

今 私は ここで 生きて います

 

 

 

「生きたね」

「生きたね」

牛猫 チョビ

 

一生懸命 生きたね・・・

 

 

力一杯 生きたね・・・

 

 

真っすぐに 生きたね・・・

 

 

自分に正直に 生きたね・・・

 

 

心を 燃やせた?

 

 

すべてを美しいと思えた?

 

 

すべてを愛しいと感じた?

 

 

何だか ちょっと疲れたのかな・・・

 

 

眠い 眠い・・・眠りたい・・・

 

 

眠ろう 眠ろう・・・ぐっすり眠って蘇ろう・・・

 

 

再び目覚める事が出来たなら 又 力一杯生きてみよう・・・

 

 

 

 

 

「母へ 2」

「母へ 2」

 

 

一杯の  味噌汁の温かさが

 

 

ほーっと 心の中まで 染み渡るとき・・・

 

 

母の笑顔が 浮かんでくる・・・

 

 

 

母が 畑で育てた大根の葉と

 

 

油揚げの味噌汁が 定番だったっけ・・・

 

 

 

遠い日の 母の姿・・・

 

 

手縫いの 粗末な衣服を着ていても

 

 

笑顔は 菩薩様のように輝いて 私の心に蘇る・・・

 

 

 

私も あなたを真似るように

 

 

畑で 野菜を 作っています・・・

 

 

 

あなたの 味噌汁を思い出し

 

 

自分が育てた 大根の葉で

 

 

油揚げを入れて 味噌汁を

 

 

家族の為に 作ります・・・

 

 

 

一杯の味噌汁の 温かさに蘇る 懐かしい 母の面影・・・

 

 

私の子供達も いつの日か 思い出す時がくるのだろうか・・・

 

 

温かい 一杯の味噌汁の中に 私の面影を・・・

 

 

母の顔

年を重ねるごとに母に似てきたといわれるようになり、今ではソックリだと言われます。


母を知る人も高齢になり、どの位似ているかは分かりませんが、それでも嬉しい気持ちになります。


遺伝子って不思議だね。私の中で、母は生きているんですね。


「母へ」

「母へ」

 

家族を生かすため 食べさせるため 必死で生きた母・・・

 

 

子を慈しむ暇もなく 只只 働いて 働いて・・・

 

 

そんな母との ささやかな 幼い日の小さな思い出・・・

 

 

あの日 母は幼い私を連れて 山へ山菜を取りに行った・・・

 

 

明るい 日のあたる草むらに座って

 

 

母と私は オニギリを食べた・・・

 

 

母と食べた大きなオニギリ・・・

 

 

あのオニギリは きっとそんなに大きかったわけじゃないかも知れない・・・

 

 

私が幼かったから、小さな私の両手一杯のオニギリは とても大きく感じられたのだろう・・・

 

 

何処からともなく 山アリが寄ってきて

 

 

その山アリも とても大きく感じたのを 今でも懐かしく思い出す・・・

 

 

大きなオニギリ・・・

 

 

大きな山アリ・・・

 

 

それでも 母と過ごせる時間が 幼心にも嬉しかった・・・

 

 

 

私をみる母の笑顔・・・

 

 

一緒にオニギリを食べながら

 

 

母の 私を見つめる目が 優しく穏やかに笑っていた・・・

 

 

ささやかだけど 暖かで静かな幸せのひと時だった・・・

 

 

母さん ありがとう・・・

 

 

あの時の 母さんの笑顔があるから

 

 

私は今も こうして頑張って生きられます・・・

 

 

 

幾つになっても 髪が白髪で白くなった今も

 

 

私は あなたを恋い慕う あなたの娘です・・・